USUGROW Interview #01

Art and brand history 1993~1996.

こんにちは。オンラインストア店長の橘内(きつない)です。今回から薄黒のインタヴューを数回に渡って掲載します。

一回目の今回は、雑誌などのインタヴューでは詳しく話されることのなかった、 活動初期のモノ作りや当時のアーティストとしての姿勢などを中心にお送りします。時期とすれば彼がハードコアなどの音楽シーンに触発された10代の半ばから1996年くらいでしょうか。

O/C Kitsunai:
アーティストとしてのインタヴューは他でたくさんやってるけど、もっと詳細な、絵を描き始めた当時の話、ブランドの事について聴いていくよ。
USUGROW:
了解。もう20年前くらいだよね、いろいろ作り始めたのは。
O/C Kitsunai:
それを始めたきっかけは?
USUGROW:
純粋に絵描きだったらキャンバスで展覧会っていう流れだろうけど、 自分の場合はフライヤーやジャケットとかさ、Tシャツにして観てもらうってのが展覧会をやるような感じだったんだよ。
バンドやスケートのシーンが好きだったらフライヤー、Tシャツ、ステッカーは身近だしね。
1993年頃のロゴ版下、フリーペーパーの版下、シルクスクリーンのテスト刷りなど。
O/C Kitsunai:
なるほど。当時はどんな音を聴いたり、アーティストに反応したりしてたのかな?
USUGROW:
絵描きだったらパスヘッド、マイケルシーフ、RxCx、SUGI、TOM、YOSSIE。音だったらハードコア、スラッシュメタル。スーサイダル、DRI、COC。あとエクソダス、VIO-LENCE、フォビドゥンとか、ベイエリアスラッシュ系。
O/C Kitsunai:
ちょっと聴きたいことが前後しちゃう感じだけど、そういった音楽を聴くようになってパスヘッドらを知ったの?それとも絵の方が先?
USUGROW:
音の方が先、高校生の時。メタリカのマーチャンダイズを観て。その後友達がゾーラックの板乗ってて、ここにもいた!って。マイケルシーフはスーサイダルのジャケット。
O/C Kitsunai:
じゃ、その音に出会ったきっかけは何だったの?オレの場合、今に至るルーツをたどるとジャッキーチェンなんだけどww
USUGROW:
プロジェクトXか!
O/C Kitsunai:
Aだよ。で、スパルタンXだよ。
USUGROW:
ん?!?!なんでジャッキー????
O/C Kitsunai:
小学校の頃ジャッキーに憧れてて、カンフーごっことかしてたでしょ?
で、スパルタンXでジャッキーがスケボーに乗ってた。それが凄くかっこよくて。それ真似して始めたらこうなった訳です。
USUGROW:
なるほど。マイケル J フォックスじゃないところがシブイね。
O/C Kitsunai:
マイケル J フォックスはカンフー出来ないから。
話を戻そうか。音に出会ったきっかけの話をしましょう。
USUGROW:
わかった。レンタル屋で借りたんだよ。高校生の時。
ONEの来日記念版のジャケで黒いサングラスにライダースでなんか凄そうって思った。で並んでたMaster of Pappetsを借りたら早くて重くて。
その後メタリカの写真みたらパスヘッドのTシャツ着てたんだよね。

スーサイダルは古着屋にファーストのアナログが飾ってあって、すごくかっこよくて。裏ジャケの写真も。このロゴ、スラッシャーマガジンで観たぞって。
でCDを手に入れて。もちろんお約束で1stの裏ジャケみたいにロゴをTシャツに手書きした。
O/C Kitsunai:
スーサイダルのロゴと、ヴェニスのタギングだね。
USUGROW:
そうだね。絵を描き始めると同時に、オリジナルのレター(文字)のスタイルも欲しくなって。
タギングやグラフィティも少し始めたり。漢字も好きだったから、それをアルファベットに混ぜてったり。
ふたりでも何度か描きに行ったよね。SLAMMING BUDDHAって当時のバンド名。
O/C Kitsunai:
そうだそうだ、夜な夜な描きにいったね。
そういった音楽を聴いていく中で、音だけじゃなくそれを取り巻く、西海岸のストリートカルチャーなどに影響を受けてたのは確かだね。
USUGROW:
そう、最初はアメリカの、特に西海岸の音やカルチャー。
最初はハードロックが好きだったんだけど、もっと激しいのは無いのか?って。で、スレイヤーとメタリカ。
で、もっと激しいのを!ってUSのハードコアのバンドをどんどん掘って。

で、地元でも激しい音を出してるバンドがいるって、観にいったのが地元福島のBLACKEND、FINE。 そのあと仙台に行くようになって、HALF LIFEを観たんだよね。

この二つのバンドのフライヤーを描いたりジャケを描き始めて、自分のアートワークがいろんな人に観てもらえるようになったんだよ。
いろんなきっかけをくれたり、すごくお世話になった。ファンだったし。

フライヤー描き始めた頃からは日本のバンドもたくさん聴いたよね。
90年代の頭。ココバットの1st、バスタード、SxOxB、ヒップホップならキミドリ、悪名のオムニバス。
それで、日本には日本のおもしろさがあるっていうのも確信したんだよ。
薄黒1stソロアートブックにも掲載されている写真。活動開始当時影響されたり、好きだったTシャツ、音源など。 おかしな音源も少しまざってますね。ちなみに中央の毛髪は当時の本人のもの。当時、私が断髪を担当しました。
O/C Kitsunai:
なるほどなるほど。おれもBLACKENDには凄く刺激をもらいました。人生初モッシュはBLACKENDに捧げました。

(遠い目)
 
USUGROW:
(遠い目)
 
O/C Kitsunai:
ちょっと、ごめん。全然ブランドの話にたどりつけてないね。
USUGROW:
OK、話を戻そう!
O/C Kitsunai:
よし、戻そう。

で、はじめた物作りだけど、当時はどうやって制作してたの? フライヤーやフリーペーパー、Tシャツなんかも自分で作ってたでしょ?
USUGROW:
フライヤーやフリーペーパーはコンビニや文房具店でコピー。
当時、町内のコンディションのいいコピー機がある場所は常に把握してた。あと、重要だったのは作業スペースの確保。
コピー機の隣でレタリングや記事を拡大縮小して切り貼りしてたからね。今みたいにコンピューターが無いからね。
2005年仙台で行われた個展会場で展示されたフライヤーの一部。
O/C Kitsunai:
コピーはサシュウね。(地元の大型書店)
USUGROW:
おおー!そうだね。あそこは手差しコピーが出来たからね、かなり重要なスポットだった。
O/C Kitsunai:
そうそう、手差し自由だったしトナーが濃くてかっこ良かった!
USUGROW:
そう、カラーコピーのツヤツヤのトナー、当時のニュースクール。手差しコピーでライヴのチケットも作れたし、封筒まで作ってたよ。
TシャツはTシャツくんで版をつくってたよ。
O/C Kitsunai:
おれは当時、あのサシュウのコピー機でTシャツ作れないかな?って本気で考えてた。
USUGROW:
当時限られた道具でいろいろ出来ないかって知恵を絞って製作した経験はかなり重要だったと思うよ。
O/C Kitsunai:
そうだね、その経験があってこそ、現代のツールの使い方や捉え方が出来ているとも思います。
USUGROW:
自分の絵のスタイルもそう。制限の中で生まれたようなものだから。
黒いラインとドットで描くってやり方もシルクの版を作る時綺麗にできるから。ハーフトーンとかグラデーションはアミ点にしないと製版がうまく出来ないからね。しっかり二階調で描けば多少細かくてもしっかり抜けるから。
O/C Kitsunai:
なるほど、そうやってTシャツくんでの制作などにもつながって行ってるんだね。
1992年購入のTシャツくん。
USUGROW:
Tシャツくんは革命だったとおもうよ!あの面倒くさい感光乳液塗る作業がいらないからね。
(シルクスクリーン版の製作時、スクリーンに塗る薬品。Tシャツくんのスクリーンにはそれが予め塗ってあった。)

実はTシャツくんの会社で1年働いたことがあるんだけど、、、
O/C Kitsunai:
おおっ、好きが高じて??
USUGROW:
いや、大人の事情。面接の時、Tシャツくん昔からお世話になってます!ってアピールは忘れなかった。
で、Tシャツくんを売り出したOGと仕事ができてすごい興奮した。Tシャツくん誕生秘話をしつこく聞いたりして。
O/C Kitsunai:
それは良い経験だったね。
USUGROW:
むっちゃうまいんだよ、あの会社の人達。刷りが。
O/C Kitsunai:
実際に販売してるTシャツくんの製版機、フレームをつかってやるわけでしょ?
USUGROW:
もちろんそう。
O/C Kitsunai:
工場の職人さんが刷ったものと比較してみるとどう?メッシュの細かさとか必ず差はあると思うけど。
USUGROW:
いや、うまいよ。仕事として百貨店での実演もあるから、手早くちゃちゃっと。
O/C Kitsunai:
では、Tシャツを作り始めた頃はどんなモチーフの絵を描いてたのかな。
USUGROW:
フライヤーなんかでもそうだったけど、仏像とか、そういった宗教的なアイコンをよく描いた。好きだったし、意識的に選んだって言うのもある。
O/C Kitsunai:
あー、そうだったね。
USUGROW:
Tシャツにして初めて売ったのはあの人魚のやつ。
ブランドの始まりと言ったら大げさだけど、自分の名前でプロダクトを売り始めたのはこれが最初。仲間内にしかまだ売っていなかったけど。
O/C Kitsunai:
うん、覚えてるし実はまだ持ってるよ。実家にある。あれを作ったときはなんて言うブランドでやってたっけ?
USUGROW:
それは言いたく無い。
O/C Kitsunai:
バーニング、、、なんだっけ??
USUGROW:
もうやめよう。
O/C Kitsunai:
話をもどそうか。
USUGROW:
そうだ。戻そう。あの人魚が今の絵のスタイルに直接つながったんだよ。
O/C Kitsunai:
なるほど。仏像とかよく描くようになったのあの人魚のあと??
USUGROW:
そう。人魚はアウトラインだけの絵だったけど、影が付けたくなってそれで点描も入れ始めたんだよ。
最初にモチーフの話をしたけど、当時もスカルは好きだったから描きたかったけど、ハードコアのシーンではさ、パスとか他のアーティストもスカルを描いてたからあえて描かなかったんだよ。
点描もそうなんだけど、フライヤー描いてた人はみんな点描つかって描いてたから、別の描き方でやろうって思ってた。
でもいいやり方が見つからなくて、シルクの製版やモノクロコピーしてもバラつきが無い、点描を使うようになった。
薄黒1stソロアートブックにも少し掲載されている極初期1993年~95年の作品。
O/C Kitsunai:
それはパスヘッドなどのアーティストや先駆者たちに影響をうけつつも、ライバル視していたのかな。なんか悔しい的な?
USUGROW:
そう。すごいファンではあるけど、絵描きとしてフォロワーにはなりたくないよね。似てしまうんなら初めからやらないほうがマシだよ。
O/C Kitsunai:
それであえてスカルを描かずに。でもそこから(人魚以降)仏像などをよく描くようになったのはなぜ?
USUGROW:
曲線が綺麗なのが好きなんだよ。よく勘違いされるんだけど、日本人だから日本的なモチーフを描くべきってのとはちょっと違う。
O/C Kitsunai:
ふむふむ。
USUGROW:
ただ、好きでかっこよかったから。
O/C Kitsunai:
つまり仏像モチーフだからといって、必ずしもそこに宗教観などが直結してる訳ではない、「モノ」としての美しさに惹かれて描いていた訳ですね。
USUGROW:
そう。まずはかたちから。
O/C Kitsunai:
たしかに宗教観や哲学的なことなど、理屈抜きにかっこいい物はかっこいい、と評価されるべき物はたくさんあるよね。
とくに仏像やお寺などの建築物なんかは、単純に美しいものとしてみても良いと思うし。
USUGROW:
かたちからはいったとは言ったけど、第一印象の美しさやクオリティがあって初めて、それをもっと深く知りたいって思う訳だから。

音楽でも絵でもさ、メッセージやコンセプトがいくら良くても、作品として良く無かったらただのひとりよがりだよ。それがアートの一側面かも知れないけど。

ぼくはそれを人に見せた時にどう反応するかとか、それを観た人のモチベーションになってくれるだろうか、っていうのも大事だから。
だからモノをつくって人に見せたり売ったりさ、そういうことをやってるんだと思う。
O/C Kitsunai:
自分がどう見せたいかよりも、受け手にとどいた時にどう感じるか、彼らにとってどのような価値になって、どう機能するか。
それをやるための美意識や作品自体のクオリティがまずは必要だと言うことかな?

それはフライヤーやジャケットを描いてみんなに観てもらったり、あの人魚の絵Tシャツにして着てもらうことが、新たな気付きに繋がったと言うこと?
93年の作品。現在のスタイルの源流となった通称「人魚の絵」。
USUGROW:
そうだね、客観的に自分の作品を観るわけだから。外で見るとちょっと深みが無いなあ、とか。
それは今も同じで、Tシャツ、レコードのジャケット、ギャラリーの展示もそう。自分の内側だけでなく、社会にそれを晒てみる事で感じる事は多いよ。
そんでそれは自分にとってとても重要。

次回は引き続き、アーティストとしてスタイルを見い出し、国内のバンド、ブランドに多くのアートワークを提供、自身のブランドも拡がりを見せていた、2000年頃までのお話を掲載予定です。

USUGROW OFFICIAL WEBSITE : http://usugrow.com/